図書館で借りた曹洞宗住職(禅僧)の本に、
「私たち禅僧にとって坐禅は日々の営みから切り離せないものになっています。
日頃から、坐禅を組んでいるわけですが、ぽんと無心になれるときもあれば、無心になるのに時間がかかってしまうこともあります。
精神的に落ち着いているときには、すっと入っていけるのに、時間に追われているようなときにはなかなか入りにくいものです。
その日の体調や、坐禅を組むまでに何をしていたかによっても違ってきます。
大げさではなく、宇宙とひとつになれているような静かな心地よさです。
正しく坐禅を続けていれば、誰でもこの感覚を味わえるようになります。
はじめのうちは、なかなか無心の状態ではなく、入れたとしても短い時間になります。
それでも、続けているうちに早く入れて、その時間が長くなってきます。
そういうときは、本当に気持ちいいだけでなく、坐禅を終えたあとも心おだやかに過ごせます。」
とありました。
私の場合、「坐禅」ではなく「ただ歩くこと」(記事はこちら)で「無心」になれる時があるのですが、大体の場合、歩きながら色々考え事をしているような気がします。
もう少し「ただ歩いて」「無心」になれるには、日々修行かしら・・・

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