振り返り最後の40代。一言で言えば「低空飛行」です。
事業部解散のあと、社内の伝統的な花形部署的なところに異動となります。しかし、全く文化が合いません。びっくりするくらい息苦しかったです。
組織が優先され、個人はそれに従うのが会社であり、サラリーマンの宿命です。なのに、ひとり自由に仕事をしようとして、どんどん孤立していきます。異動後、時間が経つごとに自暴自棄になっていきました。よっぽど事業部時代の仕事のやり方が好きだったんでしょうね。今考えても、それは無茶だろうというやり方でした。
そして、結局、40歳で会社を自己都合退職してしまいます。次の会社も決まってないのに。みなさんご存知の通り、無職状態で転職活動するのはかなり厳しいです。足元を見られます。当然、面白そうな仕事は限られるうえに、面接まで行き着いても、退職理由が自己都合で自分勝手な為(それを隠蔽するのは無職だと厳しい)、相手は敬遠します。
いやー、辛かったですね。一度など、この時期、とにかく仕事しようと、コンビニでアルバイトをしてみたこともあります。これが難易度高かった(苦笑)。ある客はタバコを棚番号ではなく、略称で注文して、私がわからないでいると舌打ちする始末。お礼などを言われることもまずありません。いかにホワイトカラーの正社員が恵まれているか実感する日々でした。
この時期は、自分が社会的にどんどん落ちていくではないかという「貧困妄想」に取り憑かれていたようで、お金の怖さを実感する日々でした。その為、この頃からお金に関する本を読み漁るようになり、自由やFIREについて良く考えてました。
そんなどん底の時期、救いの手を差し出してくれたのは、事業部時代の先輩方でした。既に外資系メーカに転職していた先輩が、その日本法人社長との面接をセッテイングしてくれました。当然、私を強く推薦してくれてます。こんな有り難いことはないですね。自己都合退職から約半年。やっと無職の期間が終わりました。
外資系メーカでの10年間は、「低空飛行」でした。社内文化は私に比較的マッチしたものの、日本法人の取締役会は全員外国人、当然ご本社様の意向が最優先されます。そんな環境で、モチベーションもあまり上がらず、基本的には受け身で言われたことをそのまま実行するような日々が長く続きました。30代のように、組織の中でも、個人として自由に仕事をしたいと思うことも少なくなり、仕事との距離が大きくなった期間でしたね。
経済的には、コロナショックを活かせたことが大きかったです。AmazonとGoogleの株で利益確定したキャッシュを2020年3月(45歳)の暴落時に、全力投球しました。その結果も、「金融資産はどう推移したのか?」で言及してます。著名投資家ハワード・マークスの「市場心理は強欲と恐怖の間を振り子のように振れる。それはいつの時代も変わらない」という著述を活かした投資行動でした。
私の場合、40代は、仕事は「低空飛行」でしたが、金融資産は「年率 +26%」と高成長で、30代以前より良い結果を残していたりします。「禍福は糾える縄の如し」というか「諸行無常」というか、というのが実感です。今、なにかに苦しんでる方も、ずっとそればかりが続くものではないと考えられれば良いな、と心から思います。
こうして「挫折と低空飛行の40代」が終わろうとしてます。
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