プレジデント2025年10月17日号に明治大学教授の齋藤孝氏が、
「ミヒャエル・エンデの「モモ」では、
時間どろぼうが「だいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです」と言い、人々に時間を節約させ「時間貯蓄銀行」に預けるよう奨励します。
一方、時間配りは「じぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならない。人間には時間を感じとるために心というものがある。もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ」と言ってます。
今この瞬間に自分が何を感じているのか、その時間をどう味わっているのか。それを意識することなく、ひたすら目の前の予定をこなすことに追われがちな現代人への警鐘かもしれません。」
と書いてました。
「FIRE後は「生産性」から「快適さ」追求へ」(記事はこちら)でも書きましたが、私もサラリーマン時代は「生産性競争」に追われ続け、「快適さ」と「幸福度」はいまいちでした。
でも、資産が少なく「人的資本」の活用が必要な「資産形成期」はそれも仕方のないことかもしれません。ポイントは「いつ生産性競争からシフトチェンジするか」なのだろう、と思います。
「定年退職」という強制解雇のタイミングなのか、「FI(経済的自立)」を実現したタイミングなのか、あるいは「静かな退職」(記事はこちら)という手段もあるかもしれません。
そのタイミングは、ひとそれぞれ「じぶんできめなくてはならない」のでしょうね・・・