バートランド・ラッセルの「幸福論」の「退屈と興奮」の章を読み返していたら、ラッセルは、幸福にはある程度の「退屈」を良しとし、「興奮」を悪しきものとしながらも、
「私は、興奮に対する異議を極端に唱えるつもりはない。一定の量の興奮は健康によい。しかし、他のほとんどすべてのものと同じように、問題は分量である。少なすぎれば病的な渇望を生むかもしれないし、多すぎれば疲労を生むだろう。」
として、要は「程度」問題としているところに興味が惹かれました。
現代人である我々も、ドーパミン的「興奮」にさらされやすい環境に生きていますが、それ自体が「悪」なのではなく、「頻度」や「程度」が鍵なんだろうと思います。ついつい「もっともっと」となりがちですが、そこでいかに「足るを知る」をできるかが、幸福な生活の鍵を握るんでしょうね・・・
ただ、ラッセルは章の終わりに「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていいられるからである。」ともしており、主としては「退屈」と各自が上手に共存することをすすめています。
「カントは、一生涯、ケーニヒスベルクの町から十マイル以上離れたことは一度もなかったし、ダーウィンは世界一周したあと、その後の生涯をずっと我が家で過ごした。マルクスは、いくつかの革命を起こしたあと、残りの日々を大英博物館で過ごすことを決めた。総じてわかることは、静かな生活が偉大な人々の特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった。」
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