日経新聞朝刊2026年6月29日に客員編集委員の大林尚氏が、
「暮らしのすみずみにタイパは浸透した。筆者自身、書店に立ち寄ってあてもなく本を物色する機会が減ったのを自覚する。そもそも自宅から徒歩圏にあった書店は3つとも閉店してしまった。朝、新聞紙面を広げて目に留まった記事を順に読んでゆくことも少なくなった。新聞がなりわいにもかかわらずである。」
と書いてました。大林氏は記者歴40年以上のベテランですが、そんな現実なのですね・・・
私は「FIRE」以降、毎朝「日経新聞」を紙で眺め、都心の様々な「書店」内(多い時は1日4〜5軒)を隅々まで歩く生活を続けています。「タイパ」とは真逆の時間の使い方かもしれません。
このルーティンは何をしているのかを突き詰めると、「自分の関心の変化」を日々読み取っているのかもしれません。その為に必要なのが「新聞紙の一覧性」と「本の表紙や目次」なのです。
そして、毎日のように「新しい記事」や「新しい本」との「セレンディピティ」(偶然の出会い)が発生するわけです。結果、毎回のように意識下に眠っていた「自分の関心事」が炙り出されます。
ネットで同様なことが出来ないかと、様々なメディアや個人を「X」でフォローしタイムラインを追っていたのですが、「広告」や「スパム」の多さと「中身」の無さに辟易して最近断念しました。
新聞や本以外でも、例えば「美術館の常設展」は年に何回か実際に足を運ぶと、引っかかる絵がその都度違っていて、そこでも「自分の関心事」の変化を反映しているように感じます。
あと、最近ほぼ毎日通い詰めているのが「八百屋」で、季節の変化を反映する商品棚と値段をじっくり観察して「果物」に結構な金額を使うようになりました。これもタイパを無視した行為かも。
FIRE後は「生産性競争」は遠くに眺めて(AIで便利になったなぁ等)、タイパではなく、自分の関心や興味を満たすことに、じっくり「時間とお金」を使うと良いんだと私は思います。
