分かれ道は「金銭解雇の法制化」だったかも

お金の使い方

日経新聞朝刊2026年1月19日に経済教室で松元崇・元内閣府事務次官が、

「筆者はアベノミクスを含めて「失われた30年」の成長戦略がなぜうまくいかなかったのか考えてきた。その結果▼90年代半ばに日本の潜在成長率が低下したのにそれを認識せずにきたこと▼潜在成長率の低下に伴い「まぼろし」の需給ギャップというべきものが発生したのに、それを認識しなかったこと▼その結果、需給ギャップ論に基づく経済対策ばかりが行われ、本来行われるべき構造的な成長戦略が中途半端になってしまったこと――が原因であるとの結論に達した。
 実はアベノミクスの成長戦略の基本は、構造的対応で潜在成長率を引き上げていこうとするものだった。健康長寿産業といった個別の戦略分野も示してはいたが、3本柱として「女性の活躍」「世界で勝つ」「民間活力の爆発」を掲げ、法人減税や労働市場改革により企業が活躍しやすい国にすることで、民間投資と対日直接投資の拡大を目指していた。そこには、積極財政の議論はなかった。
 ところが労働市場などの改革は容易には実現せず、民間投資や対日投資の拡大も思うようには起こらず、成長率は低いままだった。そこで出てきたのが、それまでと同様の需給ギャップに着目した積極財政で成長率を引き上げていこうという対応策であった。大方の人が、需給ギャップが「まぼろし」であることを認識せずにいたからである。
 潜在成長率の低下を認識できていないと、現状の低成長は需給ギャップが原因であり、積極財政によって経済を「成長」させられると考えてしまう。その結果、低成長から脱却できないのは財政政策が足りないからだということになってしまったのである。」

と書いてました。

私は「失われた30年」にサラリーマンでしたが、振り返ると、もし日本が潜在成長率を高められたとしたら、分かれ道は「金銭解雇の法制化」による雇用流動性の実現だったように思います。

今もそうかもしれませんが、当時は「正社員は解雇できない」という前提で経営判断をする必要があり、私も数多く立ち会った社長を含む「経営会議」での議論も「最も合理的な経営判断は何か」から「雇用を維持するためには」という議論にいつのまにかすり替わることが多々ありました。

それでは、やはり抜本的な構造改革は実現できず、ものすごいスピードで経済合理性を追求する海外競合にも勝てないわけです。そして残念ながら「失われた30年」を過ごすことになりました。

もし「金銭解雇」が法制化(ルール化)されていたら、既存事業の構造改革も、新しい成長産業への人材移動も、当たり前の世の中になって、新陳代謝が進み、潜在成長率を高められたでしょう。

ただ、この記事で松元氏が「労働市場などの改革は容易には実現せず」と指摘するように、実際の空気は「正社員は既得権益」で、多くの会社が「奇妙な映画館」(記事はこちら)」状態でした。

私自身も、当時は「年功序列はどうかと思うけど、終身雇用は維持した方が良いのでは」という意見でした。完全に「大企業の正社員脳」でしたね(苦笑)。要はあまり深く考えてはなかったです。

法人税や減価償却など「税制」の設計も大事でしょうが、経済成長の最大の鍵は「人材活性化」なのだと私は思います。その為には、逆説的かもしれませんが「金銭解雇の法制化」が必要でした。

FIREして思うのは「一つの会社にしがみつく人生は代償が大きい」ということです。多くの人にとって資産形成期は「給与所得」が必要ですが、閉塞感に満ちた職場での長時間労働は拷問です。

現在も日本では「解雇」のイメージが非常に悪いですが、もし社会が「そんなこともあるよ、再出発だね」程度に考えられ、再就職したら逆に給料が上がったみたいな時代がくると良いですね。