スリランカの仏教長老・スマナサーラ氏の本に、
「ものごとに終わりがない。無常とはそういうことです。
無常とは単純に『儚い』という意味ではないのです。
ものごとがきれいさっぱり消えてなくなるならありがたいけれども、
何をやってもそうはなりません。ただ変化するだけ。
それを見るとなんとなく、やりきれない気持ちになるのです。
自分は何をやっているのか。同じことの繰り返しではないか。
同じ順番でぐるぐる回っているだけではないか。
自分もまた無常だから、自分も順番に歳を取って消えていってしまいます。
やり切れない、何をやっても終わりがない、完成することはないのか・・・
真理の発見には、その疲れた気持ちが大事なのです。」
とありました。これは深い・・・と思い何度か読み返しました。
「一切は無常である」と悟るには、まず「無常に疲れる」ことが大事なのですね。

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